★マリユス戦記★
著者:ゆず 様
ポールロワイヤル
嵐の夜、片足に足かせをつけた囚人が、フラン大佐を訪ね、屋敷の戸をたたいた。
「こんな夜更けに、誰が?」
フランは執事のセバスチャンと目配せをし、戸口に向かわせた。
「どなたですか」
セバスチャンが尋ねると、囚人は扉の向こうから、
「わたしはかまわないのですが、この赤子が、飢え死にしそうなのでどうか、暖かい食べ物をお恵みください」
と、か細い声で訴える。
「入れてやれ」
フランが命じた。
セバスチャンは、あるじに一礼し、扉を開いてやった。
「ありがとう」
囚人は赤ん坊をセバスチャンに預けた。
「わたしは牢獄に戻らなくてはなりません。その子をどうか、よろしく」
「待て。お前はどこの囚人だ。バスティユか?」
フランが尋ねると、囚人は面食らって答えた。
「笑いませんか。地獄の底ですよ・・・・・・これからわたしは、地獄で釜ゆでにされるのです」
「か、釜ゆで」
フランはセバスチャンと顔を見合わせた。
しかし、囚人はうそをついているように思えなかった。
「信じないでもいい。ですが、ひとつ聞いてください。その子は『希望』です。その子は世界を救う使命をもっておりますゆえ・・・・・・どうか、大事に育ててくださいね。偽りの創造主に立ち向かえるだけの力は備えています。ですがわたしといては、あまりにも危険が伴う。それに、その子にできる限りの教育をして欲しいのです」
「希望とは、すごいな。それで・・・・・・あんたの名前は。名前くらい聞かせてくれるな?」
囚人はうなずきながら、
「ルシフェル、もと天使長官をつとめていました。ですがいまは、この通りのありさま。落ちぶれたものです」
苦笑してフランの顔を見つめてきた。
もと天使長をしていた、とは言い難いほど、全身は鮮血と、土埃で汚れ、ぼろぼろだった。顔立ちの美しさだけが、天使長であったことを思わせるだけで。
すんだブルーの瞳。フランは思わず、息をのんだほど美しかった。
「では・・・・・・」
ルシフェルは背中を向けて去ろうとした。
「待て、もう一つ尋ねたい。この子の名前は?」
フランが呼び止めるとルシフェルはゆっくり振り返り、
「マリユス、と言います」
フランは赤ん坊を見つめて、
「マリユスか。いい名だ」
と、笑いかける。
「その子は希望です。けして、手放したりなさらぬよう」
ルシフェルはそれだけ言って姿を消していた。
フランがあわてて追いかけたが、間に合わなかった。
後に残されたマリユスは、フランを見つめて笑い声をあげていたのだった。
フランはその当時まだ少年だった。
少年でありながら大佐の地位を得た、奇跡の子。
十五であった。
十五にして、過酷な戦場の生活を強いられることが、どんなに地獄であるか。大人たちはわかろうともしない。
やがて、敵の兵士を殺すことをいとわなくなったフランは冷血人間と呼ばれるようになる。
自分さえよければ、いざというとき仲間を見捨ててもよい、と言う思想を持つようにもなった。
だが、捨てきれないものだって、さすがにあった。それはーー。
「大佐」
部下に呼ばれ、フランが椅子ごとこちらを向いた。
「マリユス様がいらっしゃいます」
「うむ。そうか」
あれから、十六年が過ぎた。
マリユスは十七歳。ちょうどいいころか、とフランは考えもした。
かつてのあのことをうち明けるときが来たのか、と。
「失礼します」
マリユスが声をかけ、フランの部屋にやってきた。
「座れ」
フランが近くの椅子を示した。うなずいて腰をかけるマリユス。
「どうだ、学校は」
マリユスはあまり、喜ばしい表情をしていない。
「いじめにでも遭っているのか」
「そうじゃないよ」
マリユスは首を横へ振った。
「僕、学校よりも、フラン様のように軍人になりたい」
「なんと!?」
マリユスをひっぱたくフラン。
「お前は何を考えているんだ!」
「国のことさ! そして、フラン様のことだよ。決まってる!」
頬を押さえ、マリユスは涙を浮かべた。
「いつか、戦争でフラン様が死んじゃう。そう思えば、こんな悲しいことってないだろう? だからこそ、常に一緒に行動したいんだ。せめて、死ぬときくらいは一緒に」
「ああ・・・・・・」
フランは背中を向けた。
葉巻を持つ手が、少し震えている。
「もういい・・・・・・下がれ・・・・・・」
マリユスがでて行くと、フランは頬を伝う泪をそっと、服の袖で拭う。
「バカなことだ。戦火に巻き込まれたら、あの人との約束を守れないじゃないか・・・・・・」
あの子は、特別だから。
ルシフェルとの約束を思い出すフランだった。
さすがに、捨てきれないものとは、マリユスのことである。
ルシフェルが残していった手紙を開くフラン。
マリユスの服の中から、セバスチャンがそれを見つけたのだった。
「旦那様、これが」
「なに?」
フランはそれを読んで驚いた。
「こ、これは、機密文書か?」
「わたしに聞かれても、困りますが・・・・・・その通りとしか」
眉間にしわを寄せるセバスチャンに、フランは夢中でその文字を読む。
「どうやら・・・・・・古代のラテン語のようだな」
「さようで。学者を呼びますか」
セバスチャンは涼しい顔。フランは苦笑した。
「いや。このくらい、オレ独りでもなんとかなる」
「さようで」
セバスチャンは唇の端を軽く持ち上げた。
フランは一字一句に気を使って文字を解読している。
『マリユスは偽りの創造主に立ち向かわせるべくして生まれた、奇跡の子です。偽りの神は、わたしに世界をつくれと、命じました。言われたとおり、わたしは忠実に世界を創造しましたが、それが気に入らないと神は、せっかくわたしが造り上げた世界を滅ぼしてしまった。とても惨めな気持ちになりました。ですが。こんな気持ちを抱いたまま、わたしが立ち向かったら、それこそあやつーー神ーーをしのぐほどの偉い力を浪費してしまう。それゆえにわたしは、耐えることにしました。ところが。彼は耐えしのぐわたしをさらに試すようにして、今度は人間をつくれと命じた。それも神自身のように! わたしは断った。だが神は許さずにつくらないと、さらに破壊をすると脅してきた。やむを得ずわたしは、人間を創造したのです』
フランはごくりと唾を飲んだ。
神が、神ではないというのか?
つづいて二枚目の手紙をめくるフラン。
『アダムとエヴァは、すなおなよい子たちでした。しかし、神に対して疑問を抱いていたのです。ただあざ笑う神を、不思議そうに眺めながら。わたしは許せなかった。だから彼らに、禁断の知恵の実を与えたのです。そうすることで神に対抗できると思ったのです、今思うと、浅はかでした。わたしは地底におとされ、アダムとエヴァは、楽園を追放されました』
フランは三枚目をめくる。
『いよいよ、マリユスの秘密について証す必要があるでしょう。マリユスはわたしとエヴァの、いってみれば不義の子です。神は汚らわしいと言って、殺すよう命じたのですが、わたしにもエヴァにもできなかった。ゆえに・・・・・・生かすことに決めたのです。それにはどこか、安全な場所を確保せねばならない。そこでわたしは、地獄に送還される手前で逃げ出すことに成功、マリユスを預かってくれる誰かを捜して歩きましたーー』
フランは、古びた手紙を再び読んでいた。
これを読むたび、泣かずにいられなかった。
それを実感すると自分はつくづく人間なのだ、と悟らずにいられない。人間であるがゆえに、感情をおもむろにだす。
いかに冷血だろうと、フランはマリユスを育てた父親でもある。神とは違う。
「たとえオレが神だったとしても、マリユスは殺せない。そしてその神が偽りだと? ばかな。殺されて、たまるかよっ」
フランは改めて思うのだった。
フランはマリユスが神に対抗する存在ならば、と、その力を増幅させるものを発明した。
クローン技術を駆使した、結晶。
中世の錬金術のホムンクルス技術と異なって、フラスコなど必要なかった。
マリユスには何も告げず、ユウをーーそのクローン少女の名前ーー兄妹のように思わせる。
しかし、ユウには欠点があった。
マリユスの力の解放と同時に、肉体と精神は砕け散る仕組みになっているのだ。
ユウを創造した時点でフランは、ユウに対して何の感情を抱くこともしなかったし、知ることもしない。
ユウが、フランをどう思っているかなど全然わかろうとせず。
マリユスが偽りの創造主とやらとの対決を間近に控え、フランは自分が戦ってどうにかなるものならば、と葉巻をかじった。
非常に、歯がゆい。
「旦那様、落ち着かれてはいかがです」
セバスチャンの落ち着き払った態度に、フランはイライラした。
「こんなときだぞ! 落ち着けるか!」
「旦那様。マリユス坊ちゃんを信じているのでしょう」
セバスチャンが唇をゆがめた。
「だったら、もっと冷静に。肝心のマリユス坊ちゃんが動揺します」
フランはこめかみを押さえ、椅子に深く腰掛けた。
「なあ、セバスチャン。お前はどうしてそんなに冷静でいられるのだ」
煙草をもてあそびながら、フランは甘えるように言った。
「はい。少なくとも旦那様よりは、長く生きていますから。それに、いつ死んでも悔いは残りません」
「オレは十二分あるのだがな・・・・・・」
若干、三十一歳。
まだまだ若いフランだった。
「それに、マリユス坊ちゃんが世界を救ってくれると思えば、怖いことなどございません」
「なるほどな」
言われてみればそうだ、とフランは無理矢理納得した。
「フラン様」
ユウがフランの胸に顔をすり寄せてくると、フランは決まって頭を押さえつけ、追いやる。
「邪魔だ」
「ぶーっ」
フランはユウに怒った顔を向ける。
「あのな。お前にかまっている暇は、今のオレにはないんだ。理解しろ」
「できない! フラン様のバカッ」
フランの座っている椅子に、一発蹴りを入れて走り去るユウ。
「うぉのれッ、クソガキ〜ッ」
フランはバランスを崩して椅子ごとひっくり返り、頭をしこたま床にぶつけるのだった。
「フラン様、形無しだね」
マリユスがこっそりのぞき見し、くすくすと笑っている。
「笑ってはいけません。あれでも旦那様は、人を笑わせようと必死なのでしょう」
それを聞くと、マリユスは大爆笑。セバスチャンも笑いをこらえていた。
「ねえ、僕たち広場にあるサーカスのテントに行ってもいいの?」
セバスチャンはうなずいた。
「もちろん。旦那様には秘密ですよ」
マリユスは嬉しそうに、ユウを誘ってサーカスの開かれている街の広場にかけだしていった。
「こらこら、何が旦那様に秘密だ。オレがもらってきたチケットだろうが」
扉を開けて、フランがでてきた。
「セバスチャン、もしやお前、ガキどもの株を上げるのに懸命だな?」
「さあ、何のことでございますかネ」
フランは横目で、涼しい表情のセバスチャンを見て、
「この年寄り、とぼけやがるか」
と、愚痴をこぼす。
「それよりも旦那様宛にこれが」
セバスチャンはごまかすように手紙を渡す。
「うまく逃げる口実を・・・・・・」
とフラン。
「さあ。何のことでしょう」
セバスチャンは笑いをこらえていた。
「ふ、まあいい。これは何だ?」
ペーパーナイフを当て、手紙の封を切る。
「うん? コイツは・・・・・・」
セバスチャンが背中から文面を覗く。
「ドイツ語か。オレにはさっぱりダメだ・・・・・・」
セバスチャンに渡し、がっかり椅子に腰を落とした。
「旦那様、これは一大事ですよ」
あとになって、セバスチャンがドイツ人であったことを思い出すフラン。
「なんと書いてある?」
「・・・・・・創造主の使い、とあるのですが、どうも人間が書いたものですな」
眉間にしわを寄せるフラン。
「人間が神の使いだと? ふざけたまねを」
「はい。ですが、事実のようで・・・・・・」
「読んで聞かせろ」
セバスチャンは朗々とした声で読み上げる。
『先日はマリユス殿をお見かけし、神である小生は、ルシフェル殿に申し訳なきことをしたと反省しております。つきましては、我々主催の晩餐会にマリユス殿もつれぜひ、おいで願いたく・・・・・・』
「断れ・・・・・・」
フランは目頭を押さえた。
「そうもいかないようですがーー」
「なぜだ」
「断れば、マリユス坊ちゃんや我々の命も危ういと」
フランは見えない強敵に怒りがこみ上げ、爪をかんだ。
「卑怯な! 神とはそこまで卑劣なことができるというのか!?」
「相手は神ですからねぇ・・・・・・」
「くそッ」
フランは怒りを鎮めようと、葉巻を取り出して火をつける。
マリユスとユウは、途中雨に降られたので屋敷に戻ってきていた。
「ひどい雨だったね、ユウ」
「ええ・・・・・・」
タオルで頭を拭いて家に上がると、フランとセバスチャンの声が聞こえてきた。
「ユウは、マリユスが力を解放すると死ぬんだぞ・・・・・・」
ーーえッ? 何、どういうこと・・・・・・?
マリユスとユウは顔を見合わせた。
ユウは顔色が真っ青になっている。
「旦那様・・・・・・ですからわたくしは反対したのです。しかしながら、ユウはかわらしいお嬢さんですよ。人間と変わりありません」
「だがクローンだ。クローンは人間ではないだろう?」
ーーユウが、クローンだって?
マリユスが声も出せずに驚いていると、ユウはかけだしていってしまう。
マリユスもあとを追った。
「待ってよ! ユウ!」
「こないでッ」
ユウは、泣いていた。
「人間じゃなかったんだ、だからフラン様は私より、マリユスの方がかわいくて、仕方なかったのよ」
「そんなこと言うなよ・・・・・・」
マリユスはユウの手を強く握りしめた。
「離してよ! この温もりだって、どうせでたらめなんだわ」
「いいじゃないか。たとえそうでも、僕には君が必要で、失いたくない存在・・・・・・」
ユウはふてくされてしゃがみ込んだ。
「気休めよ、そんなの」
「そうじゃないよ。僕はユウが」
ユウは顔を上げてマリユスを眩しそうに見つめた。
「ユウが大好きなんだ」
ユウはやりきれない、といった表情で、とぼとぼと屋敷に向けて歩き出した。
「わたしはフラン様が好き。愛しているの。それでも好きなの?」
マリユスは顔を背けた。
「ほら、そうでしょ? 人間ってそうなのよね」
ユウは自分も含めて嘲笑する。
涙が、頬をつたうーー。
「否定はしないさ・・・・・・」
マリユスはユウから離れて歩く。
「でも、好きなことに変わりはないし・・・・・・嫌いになる方がずっと、むずかしい」
「もう何も聞きたくない」
ユウは全速力で、マリユスから逃げるように走った。
それからのユウはふさぎ込んだ。
部屋に閉じこもってでてくることがなかった。
「ユウ、いいかげん、でてきたらどうなんだ」
フランが尋ねても答えてもくれず、フランはやれやれ、とため息をついた。
「わがままな小娘だ」
フランは最近かけ始めたばかりの眼鏡をはずし、磨きだした。
「フラン様、あの」
食事時、マリユスがフォークをおいてフランに声をかけた。
「なんだ?」
でも、怖くて聞けなかった。
「いえ、別に何も」
「言いたいことがあれば、気兼ねするな。なんでも聞いていいぞ」
ーーこんなこと聞けないよ。ユウを殺すために創ったのですか、なんて、おそろしくて。
マリユスはあわてて食堂を飛び出す。
「なんだ、あいつ」
フランはセバスチャンと目配せした。
フランは冷血人間とあだ名されている、兵士たちの指揮官だ。
ユウを創り、また殺すことだってたやすいことだろう。
このとき、初めて父親であるフランを憎いと思った。
オイディプス王の物語を学校で読み、父を憎む王子のことを聞かされ、自分だけは違うと決め込んでいた。だが、そうじゃなかった!
ユウの言葉が突き刺さっても来た、『ほら、そうでしょ。人間はそうなのよね』。
「うるさい!」
マリユスは耳をふさいで、めちゃくちゃに棒きれを振り回す。
「ユウだけでなく、マリユスまで・・・・・・。いったいどうしたと言うんだ」
フランはマリユスの肩を揺すった。
「教えろ。何があったんだ?」
「言うもんか」
マリユスは唇をとがらす。
「言わなければ、それでもいい。だが、飯は抜くぞ」
「どうぞお好きに」
マリユスはそれだけ言うと、自室についている扉の鍵を閉めた。
「まったく」
フランは頭を押さえた。
頭痛がつづいてつらい。
「旦那様。あとはこの、セバスチャンにお任せを・・・・・・。さ、戦場に行かれるのでしょう」
「ああ、それでは頼む」
高い地位にいるものを表す軍服を身にまとい、ライフルを背負い、フランはでかけていった。
「フラン様・・・・・・」
マリユスはフランが戦争に出かけたことを知り、外にでたが、フランはとっくに屋敷を出たあと。
「マリユス坊ちゃん。十日もすれば戻られますよ」
「うん・・・・・・」
マリユスは嘘の涙を流す。
本心では、フランが死んでくれることを願っていた。
十日して、フランは無傷で戻ってきた。
マリユスはユウが好きといったフランに嫉妬し、育ての父であるフランを呪う。
「はあ。やはり自宅は落ち着くな」
いつもの椅子に腰をかけ、葉巻を吸った。
「子供たちはどうしている?」
「元気ですよ」
セバスチャンは涼しげな顔で答えた。
「・・・・・・そうか。あれから事情は聞き出せたのか」
セバスチャンはいいえ、と否定した。
「なんだ。収穫無しか」
「申し訳ございません」
フランはだるそうにしていた。
「オレはどうやら、熱病にかかったらしい・・・・・・」
「それはいけません。お休みになられては」
「かまわんさ。マリユスが背負っているものに比べたら、こんな病など、たいしたことないさ」
マリユスが扉を開いて、フランに抱きついた。
「どうした」
困った顔でマリユスを抱きしめてやるフラン。
「どういうこと!? 僕が背負っているものって・・・・・・」
セバスチャンとフランは顔を見合わせた。
セバスチャンがうなずいたのを合図に、フランが答えてやる。
「もう話してもいいだろうな。お前は、あるお方から預かった、大事な子供なんだ」
フランはルシフェルのことを話して聞かせた。
「ルシフェルって学校では悪魔とーー」
「ところがそうではなかった。事実は小説よりも奇なり、だよ」
フランは笑いながらマリユスを抱きしめた。
「いいか。お前にはそれなりの力というものが備わっているのだ。オレもよくは知らないが、ルシフェル殿がそう言ったのだ、間違いはなかろう」
「力ってどういうのだよ」
フランは何も答えてくれなかった。ただ、笑うばかりで何も。
それがマリユスには不満でならなかった。
「答えてよ! ユウが死んでしまうってことも、フラン様は隠していたじゃないか・・・・・・!」
「お前・・・・・・」
フランはさすがに顔色を変えた。
「聞いちゃったんだ。フラン様が話していたのを。だからユウはひねくれていたし、僕だってフラン様が憎かった」
「ああ・・・・・・」
フランは息切れを憶え、机につっぷしてしまった。
「フラン様!」
マリユスとセバスチャンがフランを抱き起こした。
「ひどい熱ですよ」
マリユスが医師を呼びに外へと駆けだした。
「旦那様、しっかり」
「セバスチャン、ユウを呼んでくれないか」
「・・・・・・かしこまりました」
「フラン様・・・・・・死んじゃう?」
ユウはフランに付き添い、泣きそうになる。
「このオレが病気ごときで死ぬかよ、バカが」
強がるフランを見て、一同はこの分なら平気だろうと安心。
「しばらく栄養剤を打っておけば治る」
医師はただの風邪と診断した。
「ようございましたねえ、旦那様」
「あれはやぶ医者だな」
フランは医師を毒づく。
「注射がへたくそ・・・・・・」
「あなたは病人です、お静かになさいませ」
と、扉のそばに、いまだ控えていた医師が返事をして、わざとらしい咳払い。
フランはごまかすように会話を始める。
「そ、そうだユウ」
ユウを呼び寄せ、
「悪かったな。まさかお前が苦しんでいるとは、思わなくて・・・・・・」
ユウの頭をなでつけ、涙を流す。
「フラン様」
ユウは気持ちの高揚を利用し、フランに気持ちをうち明けようと決めていた。
「フラン様、私ね、フラン様のこと、父親以上に想っているの・・・・・・。大人の男として、好きよ・・・・・・」
「そ、そうか」
フランは、ユウの気持ちを夢にも思わなかっただろう。ひどく動揺していた。
「お、お前がこのオレをか?」
「うん」
セバスチャンに視線をやり、ふたりだけにしてくれと頼むフラン。
セバスチャンは意地悪をして、このままこの場にいあわせてやろうとしたが、ユウを想い、それをやめておいた。
「私はマリユスの、きっかけなのね」
ユウはフランの手をしっかりと握る。
「マリユスの力になってあげることが、私の役目なのね・・・・・・? だから私を創ったんだ・・・・・・」
「ユウ・・・・・・」
泣き濡れて、必死に語るクローンの娘、ユウ。
自分がしたことを想えば、フランは、謝っても許されない行為をおこなってしまったことに、今更ながら気づいた・・・・・・。
「すまないと、何度謝ったらよいのだろうか。いや、それでもなお、赦してなどもらえない。オレはなんてことを」
「フランさまぁ・・・・・・。フランさまぁ!」
ひしっと抱き合うその姿は、父親と娘だが、それ以上に情が通っているようにも見えた。
ユウがクローンだなんて、言わなければ誰にもわかりっこないのだ。
「人間は、創造主の言うとおり、愚かでしかないのかもしれない。愚かで、バカヤロウな存在だ!」
「私、でも、生まれてきてよかったとおもうわ」
フランはその言葉に、目を丸くした。
「だってこうして、フラン様に会えて、そして愛することもできたし。あとは思い残すことと言ったら」
ユウは耳打ちをして、顔を赤くした。
フランは苦笑して、
「ませてるな、お前」
といい、口づけしてやる。
敵の本拠地。
それはつまり、神々の世界、神界を表した。
ドイツ語で書かせた招待状は、この神界へようこそ、と言う案内状である。
「くるのかな、ヤツはーー」
神が、ククククク、といやらしい笑い方をする。
「さあ。どうなのでしょう」
天使長ミカエルが言う。
「神界に呼び寄せるなど、神よ、気でもふれましたか」
ガブリエルが愚痴をこぼした。
「おもしろいだろう。一度地上に落とし、堕落させた悪魔の申し子を、今一度引き上げてやろうと、こういうことだ・・・・・・」
天使どもは顔を見合わせた。
「何を、バカなコトをーー」
「人間など、愚かで生意気で、汚いと聞く!」
「汚らわしい・・・・・・」
神は天使を黙らせた。
「静かにしろ。ーーお前たちの意見ももっともだが、ここで悪魔退治をさせてやろうといっているのだ。異存はないだろう?」
「し、しかし」
神は瞼を細め、いかにも幸せそうに笑う。
「マリユスとか言うクソガキ、ルシフェルとエヴァの子だぞ。なぶり殺せ」
ミカエルもそれならば、と剣を掲げた。
「もちろんです。憎きルシフェルの子供とあらば、容赦はしない!」
「その意気その意気、ヌファファファファ」
神は企みを以てミカエルたちをけしかけた。
「いくしかないよな・・・・・・」
マリユスは渋々と神界いきを決めた。
「いけば死ぬぞ」
フランは素知らぬ顔でマリユスに尋ねた。
「どうしても逝くというのだな」
「あたりまえさ!」
マリユスはフランに返答した。
「もし逝かなければ、フラン様やセバスチャンに、刺客が・・・・・・」
「そんなことか。それなら案ずるな。オレが誰かと言うことを忘れているだろ」
でも、とマリユスは想う。
フラン様は軍人だろうけど、神々の軍勢とは違うようなーー。
そして、勝てないこともなぜか、わかった。
神は特別な存在とみんなは言っている。
「神が特別とは、心外だな」
フランがまるで、マリユスの心を見透かしたような言い方をした。
「ニーチェを知ってるか? 神は、ニーチェに言わせれば『超人』でしかないのだ。つまり、特別は特別でも、すばらしい方の特別ではない。人間なら誰でも、『超人』になれるという話だ」
「でも・・・・・・」
「人間同士のつきあいに嫌気がさせば、神という幻想を創って、すがりたくもなろう。だが、ニーチェはそれを忠告したんだーー」
マリユスはフランに挑むような視線を注いだ。
「じゃあ、創造主も幻なの?」
「そうだ」
即答・・・・・・。
マリユスは肩すかしを食らった気分だ。
「だったら、僕を預けたって言うルシフェル様は?」
「あの方は立派だったよ」
曖昧にごまかすフランに対し、マリユスはいらだちをおぼえ始めた。
「フラン様ッ」
「おぅ、なんだ」
「フラン様は無神論派なんだねッ!? もういいよッ」
フランは、荷物をまとめてでていくマリユスを、寂しそうに見送った。
「旦那様」
セバスチャンが沈んだ表情で紅茶を運んできた。
「おいといてくれ・・・・・・」
フランは、背中を向けて、窓から空ばかり眺めていた。
「まずは、ルシフェル様を助け出そうと想うんだ」
考えを告げるマリユスに、ユウも同意してくれた。
「よし決まり」
「どこにいるかわかるの?」
マリユスは痛いところをつかれたと、頭をかいた。
「いやそれが、そうでもなくて・・・・・・」
「だめねえ。こんなときフラン様なら、ちゃんとするわよ」
ユウは言った後でしょげ返った。
「フラン様・・・・・・また会えるかしら?」
マリユスはその言葉にうなずく。
「もちろん! 僕がきっと、ユウとフラン様とを、また逢わせてやる」
「頼もしいのねぇ」
ふたりは会話をやめて、目の前のアヤシイ黒マントに視線をやった。
「誰だ」
マリユスが問うと、マントはいひひひ、と笑ってこう答える。
「ワシかい? ワシは創造主様のシモベだよ・・・・・・うきききき」
「案内役、ってこと?」
マントは、
「そうだよ。はやくこっちにおいで」
と、マリユスたちを導いた。
「いこうか?」
ユウはうなずいた。マリユスとユウは、マント男の後についていった。
半年が過ぎようとしていた。
来る日も来る日もフランは、マリユスとユウが気がかりでならない。
「旦那様・・・・・・」
セバスチャンは老齢で腰を弱くしており、ほとんど寝たきりになっていた。
「だいじょうぶか」
「はい・・・・・・」
フランは椅子に腰をおいて、皮肉をこぼす。
「あんなに元気だったお前が、こんなになるとはな。オレは信じられんよ」
セバスチャンは冷静な笑みをこぼしつつ、
「何を仰せに。このセバスチャン、まだまだ現役ですぞ」
フランは思わず笑ってしまった。
「それもそうだ。はやくもとに戻ってくれ」
「御意に」
フランは青い空を見上げて、ため息をついた。
「さて。マリユスはルシフェル殿に会えたのかな・・・・・・?」
地底湖には気味の悪い形の岩が並んでいた。
マリユスとユウは、半年間ずっと、こんな奇妙な岩の部屋で過ごしていたのだった。
「フラン様の家に帰りたい・・・・・・」
ユウがわがままを言い出すと、マリユスが励ました。
「ルシフェル様を助けたら、きっと戻れるよ」
「あー、限界! いったいいつになれば、ルシフェル様に会えるのよ」
「もう少しだよ」
「もう少しって、いつのこと?」
マリユスは自分も疲れていたので、返事がおざなり。
「少しッたら少しに決まってるよ・・・・・・」
「私、あんたのそういうとこ嫌いだわっ」
マリユスは目の前に広がる闇の世界に、驚愕した。
ユウも同様、目を見張る。
目前に広がる闇のパノラマ、といったほうがいいのだろうか。
とにかく、息をのむほどに美しい闇の世界だった。
その一部でうごめくものがーールシフェルが鎖につながれ、横たわっていた。
「ルシフェル様・・・・・・?」
ひとめでマリユスは、それがルシフェルであることを見抜いた。
「なぜわかったの?」
ユウは不思議そうに尋ねる。
「さあ・・・・・・」
マリユスはもっていた水筒をあてがい、ルシフェルに飲ませた。
「お前たちは?」
起きあがるルシフェルに、マリユスたちは事情を説明した。
「そうだったか・・・・・・。では、フラン殿はお元気か」
「さあ、知りません。僕たち、半年もここで暮らしてましたし・・・・・・」
それを聞いて、ルシフェルはマリユスを抱き寄せる。
「おお、なんと言うことだ・・・・・・。我が息子よ! こんな闇で半年も過ごすとは」
「僕ひとりじゃないよ、ユウも一緒さ」
ルシフェルはユウが人間でなく、その運命の悲しさを知ると魔法をかけた。
「ユウはこれで、爆発しないよ」
マリユスはそれを聞いて安心したが、ルシフェルの指がちぎれてなくなっていることに気づいた。
「ああ、これかい? これはね・・・・・・身体の一部と引き替えにして誰かの命を救うって言う魔法さ」
「そんなことまで・・・・・・」
ルシフェルは満面の笑みを浮かべる。
「人間ひとりが助かるなら、私は腕を失おうと、足を失おうと、かまわないんだよ。誰かがそれで、生きながらえてくれるならね」
「ルシフェル様・・・・・・」
マリユスは剣で戦い、銃器で人を撃ち殺して平和を取り戻す方法を、偽善であると想った。
戦争は偽善であると。
ルシフェル様の行いを見たら、誰だってそう思うはずだ!
マリユスはルシフェルに感謝をし、鎖を外してやった。
「怖かったら、逃げたっていいんだよ。それで誰もお前を、せめやしないのだから。どのみち人間は、お前のことを知らない」
「いいえ・・・・・・」
マリユスは首を横に振った。
「僕は逃げません! 逃げられないんです。だって、誰も犠牲にしたくない。そう思っていても、僕が逃げたら犠牲者が増えます」
ルシフェルは、自分の首飾りをお守りにと、マリユスに授け、どこかに去った。
「きたな、きたな。哀れな小僧よ」
マリユスは神の吐く暴言に、虫唾が走った。
「哀れとは何だ。僕には貴様の方が、よっぽど哀れに見えるけどね」
「何・・・・・・」
神は、うなった。
「マリユス・・・・・・殺す・・・・・・殺す・・・・・・!」
「なっ!」
マリユスは神の変形を見て、仰天した。
ミイラのような、全身の肉を削いだような形、桃色で、血管と骨の浮き出た肉体、ゾンビのように腐敗臭を漂わせ、ゆらり、ゆらりと宙に浮いてうごめいていた。
「神だって? う、うそだ! こんなヤツ、こんなヤツ、神じゃない、絶対違う!」
マリユスは必死で否定した。
だがーー神はマリユスを嘲笑する。
「げひゃひゃひゃ〜! 神じゃないだと? 笑わせるね。だがこれこそが現実なのだ。我は神! あがめよ、崇め祀れ!」
「いやよ!」
ユウがフレイルを振り回した。
「冗談じゃないわ! 私だってあんたみたいなキモイ神様、ごめんだもの!」
「クソガキども・・・・・・」
神はーーニセの創造主は、マリユスとユウを宙から見下ろした。
「どちらにせよ・・・・・・生かして返すわけには逝かないのだ。覚悟はいいだろうな」
「覚悟? そんなもの、していない!」
マリユスはフランからもらった剣を抜き、神に挑んだ。
「この、ダマスカスソードにかけ、貴様を切り刻む!」
「いうたな、小僧!」
幻の原材料でつくったダマスカスソードは、フランのお気に入りだったと聞く。
とても丈夫で、神にさえも勝てるだろうと、フランがマリユスに与えた剣だった。
「僕は、殺しはしない主義だけど、お前だけは違うぞ、創造主! お前は、ルシフェル様を利用し、裏切ったのだ!」
「していないといったら?」
神はぬけぬけと言った。
「我は創造主だ。貴様もそれを認めたであろう」
「ニセのをつけ忘れたな」
マリユスがその声に振り向くと、フランが立っていた。
「えッ!?」
「フラン様!」
ユウは喜んでフランに抱きついた。
「・・・・・・ち、ちが」
気づくが遅かった。ユウは首を締めつけられ、もがく。
「ユウ!」
マリユスは気を取られて神の攻撃を受けてしまう。
「どうした。小娘ひとりにかまっている暇がないであろう」
「ちくしょッ・・・・・・」
フランの偽物にぎりぎりと締めつけられるユウの首。
マリユスは創造主に腕をもぎ取られそうになっている。
創造主は面白そうに笑い出した。
「アヒャヒャヒャ・・・・・・愉快、愉快。殺すとは楽しいことよのぉ」
「離せよ・・・・・・離せよ! この野郎!」
マリユスの首飾りが光って、創造主の目をくらませた。
「眩しい!」
「いまだ、そりゃあ!」
マリユスは、剣を創造主の額にズブリと突き刺した。
「ぐおおおおっ!」
創造主は額から鮮血を流し、腐敗臭はさらに広がっていく。
匂いに耐えつつ、マリユスは、なおも深々と剣を差し込んでいった。
「ぎゃああああ・・・・・・」
フランの偽物はユウを離そうとせず、ユウはとうとう意識をなくしてしまった。
「この野郎、ユウを離せ!」
マリユスは創造主の血がついていることにもかまわず、フランの偽物に斬りつけた。
「それは神の剣か・・・・・・まさか・・・・・・」
ニセフランは驚いていた。
腕につけられた傷が、ぶくぶくと腐り果てていく。
「そんなバカな・・・・・・」
「バカは貴様だろうが!」
マリユスはとどめを刺した。
白い羽根があたりに広がっていく。
倒れた死体を見ると、それは上等な鎧を着た、金髪の天使だった。
「お前らよくやったな」
神を殺し、ミカエルを倒すと、今度またフランに出迎えられた。
「偽物?」
マリユスとユウは警戒する。
「こらこら、オレはホンモノッ。こんないい男、世界中ひとりだけに決まってるだろが」
マリユスとユウはいやらしい笑いを浮かべた。
「な、何だその気持ちの悪い笑みは・・・・・・」
「フラン様の偽物にやられそうになったんだよ」
フランは分が悪そうに頭をかいた。
「そうか、そりゃオレが・・・・・・ってオレは何もしてないだろう! とっとと帰るぞ」
ルシフェルは傷が癒えるまでフラン家で居候すると言っていた。
「ルシフェル様、うちに来るの?」
「私はフランが気に入ったのでね。そうそう、ついでにあの爺さまの腰、治しておいたよ」
「い・・・・・・セバスチャン、今頃元気で・・・・・・」
フランはなぜか青ざめていた。
「なに? フラン様、なんかやらかしたんでしょ」
フランは答える代わりに視線を泳がせていた。
「や、やっぱり・・・・・・」
マリユスとユウは顔を見合わせてあきれるのだった。
「旦那様、腰がすっかり治りましたのでバカンスを取りに行って参ります!」
セバスチャンは派手な服装で海外旅行に行ってしまった。
「ああ、このことか・・・・・・」
「何もやらかしてなかったのね、フラン様」
言いたい放題に言われ、フランは怒るに怒れず、ふてくされていた。
「期待して損しちゃったわね」
「だよね〜ぇ」
マリユスとユウの言葉に、フランはさらに機嫌をそこねた。
「期待して損とは、どういうことだ・・・・・・」
「フラン様、セバスチャンに叱られてたのかなと」
ユウが口走った。
「そんなわけなかろう」
「でもぉ。セバスチャン、いろんなコト教えてくれたよねぇ。フラン様が○歳までオネショ・・・・・・」
「こらこら・・・・・・」
フランの困った顔をもっと見たくて、マリユスが意地悪っぽくこう続けた。
「あ、そうそう、あのことも聞いたし、このことも」
「お前ら・・・・・・。そういうことは口外せんでよろしい・・・・・・」
フランはセバスチャンが帰ってきたら、減給しようと心に決めたのだった。<終わり>
作者コメント(作品についてのコメント・製作苦労話等)
苦労ですか・・。フランの性格とセバスチャンの性格かな;